シロ歴史


しばらくは愛犬について書きます。

気持ちの整理ができるよう。

他人にとっては、たかがペット。

でも、僕や母や父にとっては、大切な家族の一員。



シロとの出会いは、小学生のとき。

犬を飼ってもらえることになり、親ととあるペットショップに行った。
僕は日本犬を飼いたいと思っていた。

なぜなら、以前うちに居た犬は日本スピッツで、家に来てすぐにジステンバーという病気で死んでしまった。
だから、今度新しい家族を迎えるときは、また日本犬がいいと思っていた。

でも、ふと目がいったのは、大人しそうなビーグル犬。
しかも、生後半年が経っていたため、半額セールという極めてナンセンスな表示までしてあった。

僕は、自分がこの子を引き取らなければこの子が殺処分されてしまうのではないかと思うと、可哀想になった。
それで、何となく話しかけてみた。

「シロ」

それは以前うちに居た日本スピッツの名前で、うちに居た動物たちは代々みんな、「シロ」という名前だった。

ビーグル犬はのっそりと顔を上げて、ゆっくりと尻尾をふった。
まだ小学生だった僕の頭は単純で、まるでビーグル犬が「シロ」という名前に反応したように思えて嬉しかった。

それで、僕は親に「この子がいい」と申し出た。


シロは最初、家族も心配するほど大人しかった。
でも、家に来てから3日目、かぶっていた分厚い猫の毛皮を脱ぎ去り、シロはとうとう本性を現した。

今まで鳴きもしなかったのに、ワンワン、ワンワン。
ひたすらワンワン。
一気に家が賑やかになった。

シロは、いたずら大好き。
食べ物を見ると、目の色を変えて要求。
上目遣いで甘えて、頭を撫でると喜んで、ケージでよく一緒に寝たりした。

散歩も大好きで、どこまでも歩いた。
花見もした。
旅行も一緒に行った。

シロはいつもそばに居てくれた。
大好きで、大好きで、本当に大切だった。


でも、あっという間に別れがきてしまった。

シロが闘病した8日間。
短いようで、ものすごく長く感じた。

あれは、シロが僕たち家族に与えてくれた覚悟の期間だったのだと思う。

僕たち家族に、シロとちゃんと向き合う時間をくれたのかもしれない。
心の準備をさせてくれたのかもしれない。


本当はもっと、生きていてほしかった。

もっと遊びたかった、もっと一緒に公園に行きたかった、もっと一緒に昼寝もしたかった。
もっと抱っこして、抱きしめてあげたかった。

だって、あまりに急すぎる。

倒れる前日まで、あんなに元気で、ご飯もたくさん食べて、
はしゃいで、優しい笑顔を向けてくれていたのに。

あんなに元気だったのに。

寝たきりになっても、看護してあげるんだと、ずっと思ってた。

でも、シロは行ってしまった。
もう、シロの鳴き声を聞くことも、笑ってしまうような寝相を見ることも、
触ってあげることもできない。


毎日、シロに会いたいって思う。

今はまだ、お骨を見てもしっくりこない。それがシロだと思えない。

ペットロスを体験した人が、愛犬との思いでは愛犬が残してくれた自分へのプレゼントだと言っていた。

僕もそんなふうに思える時がくるのかな。


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