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風立ちぬ


「風立ちぬ」観てきました。

本当にすごく面白かったです。


最後の30分くらいから涙こらえてました。

主人公の恋人の姿が、亡くなった愛犬と重なって。

そう言ったら引かれると思って、一緒に観に行ったパートナーには言ってないけど。笑


個人的にジブリで好きなのは、平成狸合戦ぽんぽこ、魔女の宅急便だったけど、

それと同じくらい好きな作品になりました。




余談。

行った劇場が、以前はワーナー・マイカルだったんだけど、統合されてイオンシネマに改称したんです。

で、隣の席だったおじいさんが、一緒に来ていた人にそのことを説明していたんだけど、

説明中ずっと「ワーナー・マイケル」って言っていて、申し訳ないけど必死に笑いを堪えてました。笑

おじいさん、ごめんなさい。


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MADDIE ON THINGS


写真家のセロンさんという方が、全米を旅しながら毎日1人「新しい人」に出会うというプロジェクトをやっている。

その旅の相棒は、ペットシェルターに保護されていた「マディー」という犬。

セロンさんは、旅で撮ったマディーの写真を集め「MADDIE ON THINGS」という本を制作。

同時に、「Why we rescue」「Why we rescue in NYC」というサイトを立ち上げ、保護犬と暮らす人々へのインタビューも行っています。

現在では、「MADDIE BOOK TOUR」と題して、全米の50州を訪れるという新たな旅を楽しんでいる最中だとか。

セロンさんとマディーを見ると、2人の愛情深い関係が感じられてすごく癒される。

大型犬好きにはたまらんです。

「MADDIE BOOK TOUR」の中の数々の写真は、何度見ても楽しい気持ちにさせてくれます。




Why we rescue
http://whywerescue.com/


Why we rescue in NYC
http://thiswildidea.com/why_we_rescue_-_nyc


MADDIE BOOK TOUR
http://www.maddieontour.com/



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きみにあえてよかった


「ねえ、マリモ」に続いて、4作目。


「きみにあえてよかった」



この絵本の主人公はベンと、犬のスクランピイ。

主人公のベンは、大の仲良しだったスクランピーを亡くしてしまう。
ベンは悲しくて眠れず、スクランピイのことばかり、考え続けた。

「新しい犬、飼ってみない?」と言われても、
「スクランピイと同じ犬なんてどこにもいない!いやだ!」と突っぱねた。


スクランピイを思い出すたび、ベンの心は痛んで、ベンはなるべくスクランピイのことを思い出さないようにした。


時が経ち、ふとスクランピイのことを思い出したとき、ベンはもうスクランピイを思い出してもつらくないことに気が付く。


スクランピイの死を乗り越えたベンは、スクランピイと出会えて本当に幸せだったと強く思う。

そして、ベンはスクランピイの代わりではない、新しい家族(犬)を迎える。





この絵本を読んだとき、スクランピイを思い出すと辛くなるからと、なるべくスクランピイのことを思い出さないようにしていたベンの姿が、自分と重なった。

僕も、こうやってブログを書くようになるまでの間、なるべくシロのことを思い出さないようにしていた。

思い出すと、悲しみや辛さ、後悔や自責の念が溢れてきて、冷静ではいられなかった。

泣いて、泣いての繰り返し。

だから、意識的にシロのことを思い出さないようにしていた。


でも、やっぱり何かのきっかけでふとシロを思い出してしまう。

散歩している犬を見たり、スーパーでドッグフードを買ってる人を見たり、シロの祭壇に飾ってある花の水をかえるときに。


まだ、シロの死を受け入れられない気持ちが、シロの死と向き合うことを避けてしまう。

あの時ああすれば良かった、という後悔と自責が、シロを思い出すことを抑えてしまう。


ペットロスを経験した人のブログなどを見ると、乗り越えるのに1年以上かかってる人も多く、

2年以上経って、やっと乗り越えたという人も少なくない。

大事な家族の一員だから、愛情をそそいだ分だけ喪失感が大きいんだよね…。

シロが居なくなったことを乗り越えるには、まだまだ時間がかかりそう。




絵本では、時が経つにつれ、亡くしたスクランピーの死を受け入れ、思い出をあたためていく気持ちに至るベンの心理的変化の描写が心に響いた。

時が経って、辛い別れが思い出になるとき、「きみにあえてよかった」という幸せを感じられるというメッセージが素晴らしいと思う。


僕も、絵本の中のベンのように、辛い別れが思い出になって、

「きみにあえてよかった」と、シロとの出会いに幸せを感じられるようになりたい。

そしていつか、シロの代わりではない新しい家族(犬)を迎えたいと思う。





きみにあえてよかった (児童図書館・絵本の部屋)
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ねえ、マリモ


「いつでも会える」に続き、3作目。


「ねぇ、マリモ」


映画「いぬのえいが」の原作絵本だそうな。

すごくシンプルな絵本だけど、亡くなった犬のマリモが、飼い主に語りかける言葉が良い。

「私は君とお話できないけれど、もしも一言話せたら、こう言うの。愛してくれて、ありがとう」



ベタだけど、愛犬がそう思ってくれたならすごく嬉しい、と思ってしまう。

シロと過ごした時間は、切ないくらいあっという間だけど、本当に幸せだったと改めて感じた。




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いつでも会える



「ずうっと、ずっと、大好きだよ」に引き続き、2作目。


「いつでも会える」


絵本の主人公は、犬のシロ。

愛犬と同じ名前だったから、もともとこの本に愛着があった。

この絵本は、ペットが死んで飼い主が悲しむのではなく、飼い主が死んでペットが悲しむという立場で進む。


シロは、ある日、大好きな飼い主の女の子を亡くしてしまう。

寂しくて悲しい。

会いたい、名前を呼んで頭を撫でて欲しい。

やがてシロは、目を瞑って女の子のことを思い出すと、いつでも会えることに気づく。

まぶたの裏で、いつでも女の子の存在を感じることができる。

そうして、大切な人を失った悲しみを乗り越える犬のシロ。




この本で一番好きな場面。

シロが亡くなった女の子を想い泣いたとき、「シロって呼んで、頭をなでて」と願う。

まるで、(自分の愛犬の)シロにそう言われた気がして、たまらなかった。

僕だって、シロって呼んで、頭を撫でてあげたい。


この絵本を読んでいると、(愛犬の)シロとの思い出が溢れてくる。

いっぱい遊んだね。

散歩もたくさんしたし、旅行もいった。

アボカド、トマト、スイカ、メロン、リンゴ、梨、イチゴ、
ブロッコリー、ほうれん草、大根、さつまいも、カボチャ、たくさん食べたね。

おやつもたくさん。
コング、食べるの下手だったけど、一生懸命な姿が可愛かったよ。

寝てる姿も、可愛かった。
面白い顔でよく寝てたね。

抱っこすると、腕に顎をのせてくつろいでた。

いっぱい話もしたね。というか、聞いてもらったね。

いっぱい、一緒に色んなことしたね。

シロの色んな姿や顔が浮かぶよ。

たくさんの思い出、ありがとう。

シロは僕の親友で、恋人で、弟で、僕の子どもみたいだった。

シロ、ありがとう。

いっぱい助けてくれて、支えてくれて、ありがとう。





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ずうっと、ずっと、大好きだよ


前の記事の続きになるけど、

「虹の橋」以外にも、何冊かペットロス関連の絵本を読んだ。


1作目は、「ずうっと、ずっと、大好きだよ」


犬のエルフと、男の子。

好きなら好きと言ってやればよかったのに、エルフが若い時は、言わなくても分かると思って、

家族の誰もエルフに好きって言わなかった。

でも、エルフが年をとってから、男の子は、毎晩寝る前に必ず「エルフ、ずうっと大好きだよ」と言ってあげた。

やがてエルフが天国へいった。

男の子はすごく悲しんだけど、いくらか気持ちが楽だった。

それは、毎晩エルフに「ずうっと大好きだよ」と言ってあげたから。

男の子は、この先、どんな犬を飼っても、毎晩必ず「ずうっと大好きだよ」と言ってあげようと決める。




小学1年の国語の授業で、この物語に出会った。

それからずっとこの話が大好きで、シロがうちに来てから、

僕も、毎晩寝る前に「大好きだよ」と言うようになっていた。

動物を家族の一員としている人たちにとって、動物が大好きで愛しいのは当たり前。

でも、だからこそ生きている時に気持ちを伝えないといけない。

死んでしまってからでは、もう「好きだ」と言えなくなってしまうから、

気持ちをきちんと伝えないと後悔することもある。



絵本の中で、主人公の男の子が「好きなら、好きといってやればよかったのに、

誰も言ってやらなかった。言わなくっても、わかると思っていたんだ」と言うセリフがある。

愛情を注がれた動物たちは、僕らが彼らに大好きだと言わなくても、きっと分かってると思う。

でも、その愛情を口に出して言ってあげたら、きっともっと嬉しいんじゃないかなぁと思う。


僕も、シロが生きてるときに毎晩言ってあげて良かったと思ってる。

「大好きだよ、いい夢見てね、おやすみ」って。




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雨降り地区


前の記事で書いた、「虹の橋」3部作の1つに、「雨降り地区」というのがある。

僕はまだ、「虹の橋」を読んで慰めを得ることはできないけど、

この「雨降り地区」の詩を読んで励まされた。

「雨降り地区」は、ペットを失った悲しみを長年乗り越えられずにいる飼い主へ向けたもの。

失った悲しみにだけとらわれないで、楽しかった日々を思い出して。

涙に暮れるのではなく、笑顔で思い出してあげて。

そう励ましてくれる詩だった。

何より、シロをずっと「雨降り地区」に居させる訳にはいかないと強く思った。




*****


「雨降り地区」    (原作者不明、 引用:Wikipedia) 

こんな風に、幸せと愛の奇跡に満ちている、「虹の橋」の入り口に、
「雨降り地区」と呼ばれる場所があります。

そこではいつもシトシトと冷たい雨が降り、動物達は寒さに震え、悲しみに打ちひしがれています。

そう、ここに降る雨は、残して来てしまった誰かさん、特別な誰かさんの流す涙なのです。

大抵の子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して、
仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らす事ができます。

ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも…。

でも、1年経っても2年経っても、ずっと「雨降り地区」から、出て行かない子達もいるのです。

地上に残して来てしまった、特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、

とてもじゃないけれど、みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。

地上に残して来た誰かさんと同じ辛い想いをして、同じ悲しみに凍えているのです。

死は全てを奪い去ってしまうものではありません。

同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、

あなたの心から、永遠に消え去る事はないのです。

地上にいる特別な誰かさん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、「虹の橋」を創りあげているのです。

ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。

彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。

そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。

命の儚さと愛しさを。
束の間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを。

その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。

癒える事のない悲しみだけを、残しに来るのではありません。

思い出してください。
動物達が残して行ってくれた、形にも、言葉にもできない、様々な宝物を。

それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。

「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。

信じる心のその中に、必ずその場所はあるのですから。


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虹の橋


シロが居なくなってから、数年分の涙を使い果たしたというくらい、泣いた。

でも一方で、いつまでも泣き続けている自分がイヤだった。

こんなんじゃ、シロがちゃんと天国へ行けないかもしれないとも思った。

親にも、「貴方のそんな姿を見たら、シロが心配するよ」と言われた。

シロに心配させるなんて、情けない。

本当は、僕は大丈夫だよって言いたい。

そうして、お世話になった獣医さんに勧められた本を買ってみた。



「虹の橋」という絵本。

作者不詳の散文詩で、愛するペットを失った人の間で世界中に広がった詩。

詩は、亡くなったペットの魂が、虹の橋のたもとにある楽園に行き、

そこで飼い主を待っていると詠っている。

そして、飼い主が世を去った日、虹の橋でペットと人々は再会し、

虹の橋を共にわたって、天国へと行くと信じられている。


ちなみに、虹の橋は、「虹の橋」「虹の橋(の袂)で」「雨降り地区」の3部作。

絵本は、「虹の橋」のことを描いている。

「虹の橋(の袂)で」「雨降り地区」については、絵本などはなく、ネット上で詩だけが伝わっている。



最初に「虹の橋」を読んだときは、あまりしっくりこなかった。

生前シロは病気で辛い思いをしたのに、

天国の手前の虹の橋で長年また待たせるなんて可哀想だ、

虹の橋なんて人間のエゴだと感じた。

でも、何度も読むうちに、何となく絵本に愛着がわいてきた。

またいつか、シロに会える。

きっと見つけて会いに行く。

そう思うだけで、少し気持ちが穏やかになった。

今はまだ、泣くことが多いけど、でも、そのうち元気になるから、今はまだ泣くのを許してね。

虹の橋で、また会おうね。みんなで。



*****


「虹の橋」   (原作者不明、 引用:Wikipedia) 


天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。

この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。

そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。

食べ物も水もたっぷりあって、お日さまはふりそそぎ、
みんな暖かくて幸せなのです。

病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、

傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、
元のからだを取り戻すのです。

まるで過ぎた日の夢のように。


みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。

それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが
ここにいない寂しさのこと。

動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。

でも、ある日・・その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。

その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。

速く、それは速く、飛ぶように。

あなたを見つけたのです。

あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。

そしてもう二度と離れたりはしないのです。


幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、

あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。

そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。

あなたの人生から長い間失われていたけれど、

その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。

それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。







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どうしても拭いきれない後悔



シロが亡くなって暫くはずっと、後悔ばかりしていた。

大きな後悔は2つ。


1つは、闘病中のこと。

光・音・触刺激がけいれんを引き起こす要因だったため、あまりシロに触れることができなかった。

撫でたり、抱っこしたりすると、けいれんを起こしやすい傾向があった。

獣医さんにも直接的な接触を控えるように言われた。

だから、僕たち家族は出来るだけけいれんが起こらないよう、普段よりシロへの接触を控えていた。

できることは、ただずーっと傍に居てあげること。

それだけだった。

未だに、けいれんを起こした後のシロの苦しそうな顔や目、荒い息遣いが忘れられない。

犬の知能や認知はよく分からないけど、

きっとシロには、不安な気持ちや、すがるような気持ちもいっぱいあったと思う。

もっと頭を撫でてあげたかった。

大丈夫だよって言って、体を触りたかった。

抱っこしてあげたかった。

後悔は止まらない。



2つ目は、シロの最期。

深夜、シロの看病で寝て起きてを繰り返していたとき。

シロの様子を確認した後、眠気に負けてふと寝てしまい、慌てて起きた、あの間の30分。

その30分の間に、シロは天国へ旅立った。

どうして寝てしまったんだろう。

なんで最期を見送ってあげられなかったんだろう。

自分を責めまくった。

母は、「シロはみんなに気を遣ったんだよ。優しい子だもん」と言った。

そうなのかもしれない。

そう思うとほんの少しだけ、気が安らいだ。

でも、やっぱり、やっぱり最期に、一緒にいてあげたかったなって思う。

たぶんこれは一生、後悔し続ける。




他にも、後悔はまだまだある。

でも、

自分がちょうど実家に帰っていたときで良かったとか、

亡くなる前日、ご飯を食べられなくなったけどスポイトであげた犬用牛乳だけ飲んでくれたこととか、

家族みんなで看病できて、みんなで看取ってあげられて良かったとか、

ちゃんと、良かったと思えることもある。


そうして、シロは本当に家族に愛されていたんだなあと、改めて思う。


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シロ歴史


しばらくは愛犬について書きます。

気持ちの整理ができるよう。

他人にとっては、たかがペット。

でも、僕や母や父にとっては、大切な家族の一員。



シロとの出会いは、小学生のとき。

犬を飼ってもらえることになり、親ととあるペットショップに行った。
僕は日本犬を飼いたいと思っていた。

なぜなら、以前うちに居た犬は日本スピッツで、家に来てすぐにジステンバーという病気で死んでしまった。
だから、今度新しい家族を迎えるときは、また日本犬がいいと思っていた。

でも、ふと目がいったのは、大人しそうなビーグル犬。
しかも、生後半年が経っていたため、半額セールという極めてナンセンスな表示までしてあった。

僕は、自分がこの子を引き取らなければこの子が殺処分されてしまうのではないかと思うと、可哀想になった。
それで、何となく話しかけてみた。

「シロ」

それは以前うちに居た日本スピッツの名前で、うちに居た動物たちは代々みんな、「シロ」という名前だった。

ビーグル犬はのっそりと顔を上げて、ゆっくりと尻尾をふった。
まだ小学生だった僕の頭は単純で、まるでビーグル犬が「シロ」という名前に反応したように思えて嬉しかった。

それで、僕は親に「この子がいい」と申し出た。


シロは最初、家族も心配するほど大人しかった。
でも、家に来てから3日目、かぶっていた分厚い猫の毛皮を脱ぎ去り、シロはとうとう本性を現した。

今まで鳴きもしなかったのに、ワンワン、ワンワン。
ひたすらワンワン。
一気に家が賑やかになった。

シロは、いたずら大好き。
食べ物を見ると、目の色を変えて要求。
上目遣いで甘えて、頭を撫でると喜んで、ケージでよく一緒に寝たりした。

散歩も大好きで、どこまでも歩いた。
花見もした。
旅行も一緒に行った。

シロはいつもそばに居てくれた。
大好きで、大好きで、本当に大切だった。


でも、あっという間に別れがきてしまった。

シロが闘病した8日間。
短いようで、ものすごく長く感じた。

あれは、シロが僕たち家族に与えてくれた覚悟の期間だったのだと思う。

僕たち家族に、シロとちゃんと向き合う時間をくれたのかもしれない。
心の準備をさせてくれたのかもしれない。


本当はもっと、生きていてほしかった。

もっと遊びたかった、もっと一緒に公園に行きたかった、もっと一緒に昼寝もしたかった。
もっと抱っこして、抱きしめてあげたかった。

だって、あまりに急すぎる。

倒れる前日まで、あんなに元気で、ご飯もたくさん食べて、
はしゃいで、優しい笑顔を向けてくれていたのに。

あんなに元気だったのに。

寝たきりになっても、看護してあげるんだと、ずっと思ってた。

でも、シロは行ってしまった。
もう、シロの鳴き声を聞くことも、笑ってしまうような寝相を見ることも、
触ってあげることもできない。


毎日、シロに会いたいって思う。

今はまだ、お骨を見てもしっくりこない。それがシロだと思えない。

ペットロスを体験した人が、愛犬との思いでは愛犬が残してくれた自分へのプレゼントだと言っていた。

僕もそんなふうに思える時がくるのかな。


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夢みたいで、まだ信じられない


シロが居なくなった次の日の朝、

いつものようにシロのケージに向かった。

でも、シロは居ない。

もうどこにも居ない。

シロが死んだことが信じられなくて、夢みたいで、受け入れられなくて、

何度もシロの名前を呼んだ。

もしかしたら、ひょっこり出てくるかもしれない。

でも、やっぱりシロはどこにも居なかった。


その日は1日中、シロを看取った布団の上で、シロのお骨を抱っこしていた。

シロはもう、大好きなご飯が食べられないのに、自分は食べるのか…。

そう思うと、罪悪感が生じて、全く食欲がわかなかった。

他人が見たら、頭大丈夫かよって思うくらい落ち込んだ姿だったと思う。



それから暫くは、何もする気になれず、シロを思い出しては泣いていた。

後悔もたくさんした。自分を責めた。

あの時ああしていれば、もしかしたら~…。

ああしなければ、もしかしたら~…。

僕たち家族がした(シロの闘病中の)決断は、本当に良かったのか…。

考えれば、きりがなかった。

でも、いくらたくさん考えても、思っても、もうシロは居ない。



シロの居ない寂しさに襲われると、シロのケージに入り込んで、シロが使っていたタオルやベッドや玩具を抱きしめた。

タオルやベッドは、まだシロの匂いが残っていて、泣きそうになるとその匂いをかいだ。

自分がこんなに激しいペットロスになるとは思っていなかった。

でも、そのくらいシロが愛しくて、大好きで、大切だった。



シロが亡くなってから1週間後、お世話になった動物病院へ家族みんなで挨拶に行った。

そのとき、獣医さんと話している最中に父が泣いた姿が、忘れられない。

獣医さんは、「もう少し落ち着いたら、また犬を飼ってあげてください。それがシロちゃんにとって一番いいことだと思います」、そう言った。

獣医さんの言った言葉の意味は何となく分かった。

でも、シロ以外の犬を飼う気にはなれない。

シロでないと、意味がないんだ。



次の日、シロのお骨と散歩のリードを持って、よく遊びに行った公園へ行った。

尻尾を振って歩く姿、オヤツをねだる瞳、一緒に走った芝生、くつろいだベンチ、一緒に見た紫陽花やバラ、

シロとの思い出が溢れてきて、また泣いてしまった。



シロが亡くなってから10日目、ようやく祭壇にシロの写真を数枚飾った。

それまでは、どうしてもシロの写真を見ることができなかった。

まだシロが亡くなったことを受け入れられない僕は、シロの写真を見ても、

シロが死んだ現実感がなく、本当にシロが僕たち家族のところに居たのかさえ不思議に思うこともあった。

そして、写真を見ると、もうシロに触れられない悲しさや苦しさ、

死んだことを受け入れなければならないという焦燥感が湧いてきて、冷静にはいられなかった。




その後、何日か経って、僕は実家からパートナーと暮らしている住まいへ戻った。

その日まで1度も、シロは僕の夢に出てきてはくれなかった。


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シロ、まだ別れたくなかった


先月、愛犬のシロが天国へ旅立ちました。

暫くは何も手につかず、ブログも書けず、放心状態。

シロは高齢だったけど、獣医さんも驚くくらいすごく元気だった。

今年の春にやった健康診断もバッチリ。

だから、あんなに元気だったシロとこんなに早く別れが来るなんて、思いもしなかった。



シロは8日間闘病した。

ある日、シロは父との散歩中、突然けいれんを起こした。

今まで大きな病気なんてしたことなかったから、家族は驚いて急いで病院へ行った。

「てんかんです」「薬で調整できる」と言われ、注射を打たれて帰ってきた。

でも、全身のけいれんは、てんかんとは思えないほど頻度が多く、

1日のうちにけいれんが起こる回数がどんどん増えていった。

今度は、別な動物病院へ行った。

獣医さんは、シロの様子を見て、難しい顔をした。

その時、何となく、シロとの別れが近づいていることを感じてしまった。



シロの具合はどんどん悪くなっていった。

1日に何度もけいれんが起こり、けいれんが起きている最中に薬を入れてあげなければならなくなった。

けいれんが起きた後、シロはフラフラになりながら立ち上がり、一生懸命歩いていた。

体を支えなければ上手く歩くことができなかったが、シロは自分の足で確かにゆっくりと歩いた。

夜中も、朝方も、日中も、1日中、家族の誰かがシロに付き添った。


どんどん弱っていくシロを見るのがすごくすごく辛かった。

死んでほしくなかった。

まだ別れたくなかった。

離れたくなかった。

でも、シロは子どものころ僕が飼いたいって言って家族に迎えた犬だから、

最期まで看取ってあげたい、看取ってあげなければと強く思った。



他方、シロの看護で家族も疲れ切っていた。

それでも、獣医さんが「シロちゃんどうですか?」としばしば電話をくれたり、

時間外にも関わらず電話で応対してくれたことは、僕たち家族にとって支えになったし、

本当に有難かった。



徐々に、シロは、だんだんご飯を食べなくなった。

水も、あまり飲もうとしなかった。

ある日、母がシロの大好きなスイカやメロン、アボカド、トマト、牛乳寒天、チーズ、プリンなどを買ってきた。

どんどん弱っていく姿を見て、どうしても何か食べてほしい、食べさせてあげたいと思ったのだ。

でも、シロは食べなかった。

というより、もう食べることができなかった。

鼻や口元に大好きな食べ物をくっつけても、

シリンジやスポイトで水や流動食をあげてみても、シロは全く反応しなかった。

最後に、ダメ元で犬用の牛乳をスポイトであげてみた。

シロは、3~4回ほど飲み込んだ。

嬉しくて、家族みんなが「偉いね、シロ良い子だね」と泣きながら言っていた。


その日の夜、獣医さんから電話がかかってきた。

安楽死のこと、延命措置のことを丁寧に何度も説明してくれ、

家族でよく話し合ってくださいと言われた。

獣医さんは、僕たち家族に心の準備をしてくださいと、言いたかったのだろう。



シロの闘病中はずっと、深夜はほとんど父がシロに付き添っていた。

でも、その日の夜は何だか、ずーっとシロに付き添っていたいと思って、

僕は、横たわって苦しそうに息をしているシロの隣で、シロと過ごした今までの人生をシロに語り掛けた。

シロを撫ながら、シロと2人でたくさん語り合った。



でも、そのうち、ふと寝てしまった。

そして、ハッと目を覚ましてシロを見ると、息をしていなかった。

すぐに傍で寝ていた父を起こし、母も呼びに行った。

シロは、まだ温かかった。

たぶん、僕がふと寝てしまってハッと目を覚ました30分の間に、シロは天国へ行ったんだろう。

そうして、リビングに布団を敷いて、まだ温かいシロを家族みんなで見送った。

朝の5時5分だった。



母と僕は、シロを挟んで川の字になって、暫く一緒に布団で寝た。

父は、シロのケージの傍を離れなかった。

冷たくなったシロは、まるで人形みたいで、本当に死んでいるのか信じられなかった。

今にも起きて動き出しそうなほど、安らかに、静かに、眠っていた。

僕は泣きじゃくりながら、「今までありがとう」「ずっとずっと大好きだよ」と言い続けて、

よくイタズラしていたようにシロの鼻に何度もキスをした。



シロは、その日のうちに火葬した。

花を買ってきて、シロが大好きだったご飯とオヤツを添えた。

最後、シロが火葬炉に入っていく姿が脳裏に焼き付いて、今もしばしば思い出される。

火葬炉に入っていくとき、僕は人目も気にせず泣き叫んでいた。

シロが好きだったタオルを握りしめ、シロの名前を何度も叫んだ。

そして、あんな風に取り乱して涙を流す父と母の姿も、忘れられない。

何で死んじゃったんだろう。

まだ離れたくなかったよ。


納骨は、人間と同様の扱いをしてくれた。

骨の部位や名前など、丁寧に説明してくれて、かなり時間をかけてくれた。

分骨をお願いし、母と父のいる実家と、離れて暮らす僕とで分けた。

でも、未だにどうしても、骨がシロだと思うことができず、何だか不思議な気持ちです。



シロを連れ、家に帰ると、動物病院から献花が届いていた。

正直、ここまでして頂けるとは思ってもいなかった僕たちは、ただただ驚き、感謝するばかり。

シロのことや僕たち家族のことを真剣に考えて向き合ってくれた素敵な獣医さん。

シロ、そんな獣医さんに出会えて良かったね。



そして僕は、翌日から絶賛ペットロスが始まる。








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さよならドコモ


かなり久しぶりです。

約2か月ぶり。

梅雨もあっという間に過ぎて、もう夏か…。


先日、スマホを変えました。

もともと故障してたので早く変えたかったんですが、解約金とか本体代金がまだ3か月くらい残ってたので、なかなか踏み切れず…。

でも、結局キャッシュバックで元を取れればいいやってことで、
長年のドコモユーザーだったけどMNPでキャリア変え。

ドコモには愛想つかしたよ…。

で、パートナーがiPhoneだったので、僕もiPhone5に。

キャッシュバックは、2年間基本料無料と本体代で約5万くらい。

十分です。

前使ってたスマホと比べると、操作性は比べものにならないくらいiPhoneの方がスムーズ。

まぁ、前使ってたスマホが古かったのと、ROMが1Gっていうヒドイものだったから、比べようがないといえばそうなんだけど…。

iPhoneにして良かったー。

お父さん犬の学習帳も貰いました。

ジャポニカの学習帳、懐かしい!