シロが居なくなった次の日の朝、
いつものようにシロのケージに向かった。
でも、シロは居ない。
もうどこにも居ない。
シロが死んだことが信じられなくて、夢みたいで、受け入れられなくて、
何度もシロの名前を呼んだ。
もしかしたら、ひょっこり出てくるかもしれない。
でも、やっぱりシロはどこにも居なかった。
その日は1日中、シロを看取った布団の上で、シロのお骨を抱っこしていた。
シロはもう、大好きなご飯が食べられないのに、自分は食べるのか…。
そう思うと、罪悪感が生じて、全く食欲がわかなかった。
他人が見たら、頭大丈夫かよって思うくらい落ち込んだ姿だったと思う。
それから暫くは、何もする気になれず、シロを思い出しては泣いていた。
後悔もたくさんした。自分を責めた。
あの時ああしていれば、もしかしたら~…。
ああしなければ、もしかしたら~…。
僕たち家族がした(シロの闘病中の)決断は、本当に良かったのか…。
考えれば、きりがなかった。
でも、いくらたくさん考えても、思っても、もうシロは居ない。
シロの居ない寂しさに襲われると、シロのケージに入り込んで、シロが使っていたタオルやベッドや玩具を抱きしめた。
タオルやベッドは、まだシロの匂いが残っていて、泣きそうになるとその匂いをかいだ。
自分がこんなに激しいペットロスになるとは思っていなかった。
でも、そのくらいシロが愛しくて、大好きで、大切だった。
シロが亡くなってから1週間後、お世話になった動物病院へ家族みんなで挨拶に行った。
そのとき、獣医さんと話している最中に父が泣いた姿が、忘れられない。
獣医さんは、「もう少し落ち着いたら、また犬を飼ってあげてください。それがシロちゃんにとって一番いいことだと思います」、そう言った。
獣医さんの言った言葉の意味は何となく分かった。
でも、シロ以外の犬を飼う気にはなれない。
シロでないと、意味がないんだ。
次の日、シロのお骨と散歩のリードを持って、よく遊びに行った公園へ行った。
尻尾を振って歩く姿、オヤツをねだる瞳、一緒に走った芝生、くつろいだベンチ、一緒に見た紫陽花やバラ、
シロとの思い出が溢れてきて、また泣いてしまった。
シロが亡くなってから10日目、ようやく祭壇にシロの写真を数枚飾った。
それまでは、どうしてもシロの写真を見ることができなかった。
まだシロが亡くなったことを受け入れられない僕は、シロの写真を見ても、
シロが死んだ現実感がなく、本当にシロが僕たち家族のところに居たのかさえ不思議に思うこともあった。
そして、写真を見ると、もうシロに触れられない悲しさや苦しさ、
死んだことを受け入れなければならないという焦燥感が湧いてきて、冷静にはいられなかった。
その後、何日か経って、僕は実家からパートナーと暮らしている住まいへ戻った。
その日まで1度も、シロは僕の夢に出てきてはくれなかった。
Wednesday, July 3, 2013
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愛犬Beagle
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