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修論 中間報告会

修論の中間報告会、終わりました!

1カ月前から準備してたこともあり、自分としては良い発表ができたと思いますw←

でもなぜか質疑応答で、主査と副査の先生がトークバトルしてたのが気になりました。笑

副査の先生はジェンダー研究の権威なので色々とご指摘くださったんですが、
主査(ゼミの先生)の先生は聞く耳持たずで…。爆

発表者を差し置いてバトルしてました。笑


あと気になったのは、周りの関心の低さというかそんなもの (どんなもの

質疑応答では、先生方と院生側からの質問時間がそれぞれ設けられてるんですが、
僕の発表では学生側からの質疑は全く出ませんでした。

なので逆に質問しました。←

セクシュアリティとかジェンダーに関することって、やっぱり質問しにくいのでしょうか。
興味関心も低いのでしょうか。

僕以外の発表では、発表者のテーマに関して学生側からの質疑が結構あってディスカッションが盛り上がってたので、ちょっと寂しかったですね。

副査の先生もおっしゃってましたが、
研究テーマそれ自体のディスカッションがないのは寂しいわよね、と。


そんなこんなで、微妙な気持ちで終わった中間報告会。

でも、自分が満足のいく発表ができたので良かった。



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図書カードの性別欄廃止

僕の住んでいるところで、市立図書館の図書カードの性別欄がようやく廃止された。

かなり前から検討されてて、やっと実現された。

市立図書館を利用するたびに、複雑な気持ちで「女性」の印が付いた図書カードを差し出してたので、図書カードの性別欄廃止のニュースを聞いた時はやっぱり嬉しかった。

本を借りるのに性別なんて関係ないのに、そもそも何で図書カードに性別欄があったのだろう…。

いかに社会が性別にこだわっているか、あの人は「男か女か」を気にしているかが表れている。


近隣の市では、印鑑証明や市施設利用の申請書から性別欄を廃止している(全国的にも珍しい)。

それは、性同一性障害の人や、性別欄に記入したくない人たちの心情に配慮してのことだという。

行政情報として性別欄が不要なものってたくさんありますよね…。

公的書類からの不要な性別欄廃止の動向はこれからも気になります。



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やっぱり焼きそばはソースだよね

学食で塩ヤキソバを食べてた同級生が、「なんか足りないんだよねー」と言って、
調味コーナーから”ソース”を持ってきて、存分にかけていた。

…それ、塩ヤキソバじゃなかったっけ(´・ω・`)?

そんなツッコミを心にしまいこみ、冷やし中華をかきこんだ昼下がり。

今日も平穏。笑



夏休みまであと2週間。

とりあえず、修論中間報告会が終わるまで生きた心地がしません…。

↓ データの山


副査の先生に挨拶行ったり、パワポのスライド作りしたり、忙しくも充実した日を過ごしとります。

やっぱり、自分の考えが1つの形(作品)になるというのは嬉しいです。

ただ1つ心配なのは、あがり症ってことかな! 爆


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日誌法


前に書いた、ジェンダー・ステレオタイプの日誌法の調査が終わったんですが、
個人的に面白い結果が出て興味深かったです。
(前の記事⇒http://hermafrodito.jugem.jp/?eid=335)

ジェンダー・ステレオタイプというのは、例えば「男は酒に強い」「女は数学が苦手」といった、男性・女性に対して人々が共有している思い込み・誤信念のことです。

調査目的は、1日に何回くらいジェンダー・ステレオタイプを意識し、どんな事象を意識しやすく、それをどのように自分が感じているかについて調べること。
方法としては、ある程度構造化した自分作の記録用紙を一定期間持ち歩いて、ジェンダー・ステレオタイプを意識したらその都度記録する、という感じ。

分析結果としてサクッとまとめると、
1日に約4回ほどジェンダー・ステレオタイプを意識し、そのことを意識するというのは自分にとって2つの側面があるということ。

1つは、「その人らしさ」が性別や男らしさ・女らしさの中に消えてしまうのがイヤだ、と考えているということ。
もう1つは、ジェンダーというと女性にとっての不利益ばかりが言われるけど、
実はあまり気付かないだけで男性にとっての不利益もたくさんある、ということを考える切っ掛けになるということ。

調査対象は自分なので、あくまで主観的分析ですが。笑

でも、ジェンダーに関する出来事を意識する背景は、1人1人意味やその機能が異なるのでしょうね。
「ジェンダー」という、ある程度みんなに共有された概念でも、何故それを意識するのか、考えるのかが個人によって違うというのは、ある意味面白いと思います。

今回は日誌法で自己分析をしたわけですが、「何で自分ってこんなにジェンダーを意識するんだろう?」とか、「自分はどんなジェンダーを意識しやすいんだろう?」とかいう疑問に対する自己整理ができる点では、日誌法っていいなぁと思いました。

記録のスパンは違うけど、ある意味自分史と似た機能があるのではないかと。
それに、一定期間記録することで自分の思考パターン等がある程度分かるわけだから、自分にとって快い物事や不快な物事の把握もできる。
いわゆる「気づき」が促される。


そんなこんなで、課題ですら自分の好きなことを好き放題やってしまい、楽しい思いをさせてもらいましたw 爆


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性同一性障害と同性愛

SNPというブランド名が何かと聞かれ、「スヌーピー?」と答えたアホゥです。
頭の中は常に犬でいっぱいw

↓リアル・スヌーピー (夏バテバージョン



















院生室で7月下旬の修論中間報告会の話を修士2年メンバーでしてたんですが、
臨床心理専攻の男の子が、「めぐむ君の修論って性同一性障害のことやるんでしょ?」と聞いてきた。

そして、なにやら真剣な顔で「クライアントでそういう人が来たらどうすればいいのかな?好きになられたらどうしよう…。」と言った。

「性同一性障害と同性愛は違うよ?」と返すと、彼は「え?そうなの?」と驚いていた。

性同一性障害と同性愛を混同してたことより、
「好きになられたらどうしよう?」という言葉が何だかショックだった。

全く悪気はないのは分かってるけど、未だにそういう考えが当たり前にされてるのが切なかった。

この前見てたテレビでも、番組司会者がゲイの人に「そういう“趣味”はいつから?」って聞いてて、やるせなくなった。
趣味や好奇心で同性愛になったと思ってる人はまだたくさんいるのだろうか…。
そして、その発言を否定しない・注意しないそのゲイの人にも違和感を覚えた。

マス・メディアの影響力は大きい。
だからこそ、メディアに出てるセクマイの人が誤解や偏見を訂正していくことは必要なんじゃないかと思うのです。

セクマイに対する誤解や偏見ってまだたくさんあるんだな…と痛感した出来事でした。



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ジェンダー・タイプ

愛犬の立ち姿を見るたびに、胴の長さに若干の疑惑を抱きます。
…お前…ビーグル…だよな?







先日、ジェンダー関連の授業でスゴイことを言っていた子(A君)がいて驚きました。

A君「男に女性性なんてあるんですか?」
先生「・・・・・・」
俺「…?!」

いや、マジで驚いた。

彼曰く、ボーイッシュな女性がいるように、女性には男性性があるかもしれないけど、男性には女性性はないと思うんだそうな…。
で、女性的な男性は全て同性愛者だと彼は言う…。

男性性しかない男なんているわけねーだろ!と頭でツッコミしつつ、苦笑…。
女性には男性性があって、男性には女性性がないって、そんなわけあるか!

先生に意見を求められ、
「人間はみんな女性性・男性性の両方を持っているんじゃないですかね。女性的な男性が同性愛というのは完全なステレオタイプで、男性が女性性を持っているのは自然なことだと思います」 と反撃したけど(爆)、
A君のようなことを思ってる人がいるとは思わなかった…。

社会では男性的な女性は良とされるけど、女性的な男性はあまり良とされないように、
女性が男性性を持ってることよりも、男性が女性性を持ってることの方が非好意的に扱われる。
勿論その背景には、男性性に価値が置かれ女性性にあまり価値が置かれないっていう事が絡んでるわけですが。

ちなみに、ジェンダー・タイプで考えると、
女性性が高くて男性性が低い人は女性優位型、男性性が高くて女性性が低い人は男性優位型、
女性性・男性性がともに高い人は(心理的)両性具有型、女性性・男性性がともに低いの人は未分化型、と言われてます。
(女性で女性優位型の人と、男性で男性優位型の人は伝統的性役割意識が強い)

どれがイイ、どれが悪いってことはないですけど、
男性も女性も、女性性・男性性の両方を持ってるんだよ…っていうことを説明するには良いモデルかな、と。