終着点は?

「性別違和感があるのに、何で手術しないのか」と聞かれたことがあります。

まぁ、倫理的配慮のない質問だからムシしましたが(笑
てか、無神経だよ。

何か、
性別違和感を持つことの終着点って、体を変えることに偏っているような気がします…。

もちろん、体を変えてからの課題はたくさんある。
これから自分がどう生きていくかってことを考えなきゃならない。

でも、何だか外見ばかりにとらわれて、その人らしさっていうのを見失ってる気がします。
例えば、過剰に反対の性のジェンダーに適応しようとして、行動が行きすぎちゃってるのとか。

僕が以前に知り合ったFTMの人は、胸の手術後に今まで吸わなかったタバコを始めて、机の上に足を乗っけて喋るようになった。
なんかそれって、変な気がした。
タバコを吸うことや、机に足を乗っけて喋ることと、「男らしさ」は違うと思うの。

何ていうのかな…。
マナーの悪さと「男らしさ」って、イコールじゃないじゃない?

つまり僕は、体を変えてもなお、ジェンダーに翻弄されざるを得ない雰囲気が流れてることに違和感をもったわけです。

外見を変えることに一生懸命になりすぎて、中身の充実を置いてけぼりにしてる…みたいな。
それだけ、日本社会はジェンダーに対する規範が強いってことなのでしょう…。

そんなこんなで、体を変えることの先にあるもの、僕らの終着点は?という疑問が浮かびました。
そもそも、終着点なんてないのかもしれないけど。

…なんか偉そうにゴメンナサイって感じですが。


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