勘違いなエゴ

職場のボスの ”理解してるよ、受け入れてるよ”っていう姿勢がナゾすぎる。


3月に卒業した養成校に、カム済みでもないのにメンズスーツを着て「”男として働いてます”って挨拶に行け」と言われたり、

「(犬好きなので)スヌーピーが好きと言ったら、「男なのに?・・・ナゾ、変わってるね」と言われたり、

接したこともない社員に1人ずつ、「ぼくはGIDですって説明しに行け」と言われたり。

こんなのは序の口で、「は?・・・ふざけんなよ。バッカじゃねーの?」と思える数々の発言をくれる。

書いてしまうと、思いの丈が止まらなくなるので自制。

正直、入る会社を間違えたと心の底から思う。

確実に何かを間違えてる、この人達。

聴覚障害をもつ子どもやその親の支援をしてるのが、色んな意味でスゴイと思う。

個人的にキライなのが、親に障害認識(受容)を急かすこと。

”障害児をこれからずっと育てて生きていくんだから、落ち込んでる暇なんてないのよ”とボスは言うが、それは何か違う気がする。

親だろうがなんだろうが、そんなに頑張ってたら疲れちゃうよ・・・。
休憩だって、落ち込むことだって大切だよ・・・。

援助者のそういう姿勢って、単なるエゴだと俺は思う。


話が逸れたけど。

最近一番のヒットは、スタッフ数人で外出したとき、「バッグを持つのは男の子の役目なんだから持ちなさい」と言われ、ボスのカバンを持たされたこと…。

カバンくらい自分で持てよ。なにはき違えてんだよ。

”男性役割”を演じるために生きてる訳じゃねーよ。

「男とか女とか、そういうことから自由になってほしい」とか、「私たちは本質を見てる」とか言ってるくせに、その人が持っているハンデばかり見て、その人らしさとか人間性とか、全く見てないじゃねーか。

いい加減にしろよ。ふざけんな。
あんたらの都合のいいように解釈して、都合のいいように利用してるだけじゃん。

女性はエスコートされて当たり前とか、擁護されるのが当然なんて考えてる人なんて、こっちから願い下げだ。

男っていう性自認を持つことと、その人が社会的に男性らしいか否かは、まったく別の話だと思う。

男性として認められることが、”男性役割を演じる”ことだっていうなら、別に認められたいとは思わない。

すごーくポジティブに考えるなら、ここ(職場)はネタの宝庫だということくらいだ。





2 comments:

  1. りく said...:

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    お久しぶりです´▽`
    職場でのご苦労、リアルに想像できちゃってつらいです´`;
    GIDに対するステレオタイプな理解って、理解と呼べるものなんですかね…。
    それと男性に対するセクハラって、まだあまり社会的に問題視されていないだけにひどいですよね;
    子どもの障がい受容を保護者に強要するような発言や態度って、支援者が特につつしまなければならないものだと習いましたし、実際に臨床で関わったりする中でも感じます。
    保護者の協力あってこその支援だからなおさら、保護者の心に寄り添う姿勢が重要なんですよね。
    でも、それもヘタをすると、障がいのある子を持ったことに同情されているような感じを与えてしまって、結果的に溝をつくってしまうことにもなりかねないし。
    適切な距離感というか関わり方って、どんなものなんでしょうね。
    僕も常々考えさせられています。

  1. めぐむ said...:

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    ◆りくくん
    お久しぶりです。
    レス遅くなってすみません;
    ステレオタイプな理解って、理解じゃないですよね…。
    ”理解してあげなきゃ”とか”私は理解してあげてる”っていう接し方がナゾです。
    ホント勘弁してほしい。
    保護者との距離の取り方って難しいですよね。
    ケースバイケースだし、寄り添うだけじゃ足りない時もあるし。
    でも、結局は全て子どもへの影響に繋がってしまうから、保護者とどう信頼関係を築いて、子どもへ反映してもらえるかが重要なのかなぁ…と思ったりします。

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