決めつけ

授業で性別役割の発達についてのトピックがあったんですが、

「伝統的な性別役割は、しつけるという意味ではなく、子どもが自分の性を自覚したうえで自分らしい在り方を探索していくものである」 という文章が何となく引っかかった。

自分の性を自覚できない場合、”自分らしさ”を探索できないのか?

じゃぁ、トランスの人や、自分の性に期待される性別役割を受け入れたくない人や、性別違和はなくとも自分の生物学的性を受け入れたくない人etc、は?

確かに、性別がその人に与える影響は大きいし、生物学的性別と性自認が一致せず、自分の性を自覚・受容できない場合、アイデンティティ確立に支障を来す部分はあると思う。

でも、全ての人が自分の性を自覚・受容できるわけではないと思うし、
自分の性を自覚・受容できない人も、自分らしさは探索できる。

だから、自分の性を自覚できない場合、”自分らしさ”を探索できない…と取れるような書き方に、少し抵抗があった。


そのあと、先生が、「最近私が感じるのは、一人称が”うち”という女の子が多くなったことです。何なんでしょうかね。まぁ、性同一性障害なのかもしれませんね」…とか言い出して、もう訳わからなくなった。笑

しかも、「今は手術も画期的になって、ずいぶん悩みもなくなったようですね」…と言いだした。

みんなが手術を受ける・受けたいわけじゃないし、受けられるわけじゃない。
手術したからって、悩みが低減するとは限らない。

GID=みんな手術を希望するという安易な構図を、当たり前のように授業で言ってしまって良いのだろうか…。
GID像のステレオタイプ化に加担している気がしてならない。

授業後、先生に「GIDの人がみんな手術を望んでいるわけではないと思いますよ?」と言ったら、
「いやいや、あの人たちは手術して体をなおすことが幸せなんですよ。以前、私はGIDのクライアントをみたことがあるんです」と言われ、本当に残念な感じでした。苦笑

やっぱり一般的には、GID=手術というイメージなんですね…。

医療的治療を希望しないトランスの社会的認知がもっと上がればいいのになぁ。


2 comments:

  1. とし said...:

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    お久しぶりです!
    うわあ…なんかものすごくもやもやする…
    でもGIDなら手術!って感じかもしれませんね。
    トランスって名乗るなら違うかも知れませんけど…
    最近のtwitterのつぶやきを見ているとそんな風に感じました。
    しかし、1例から一般化しちゃう考えは極端すぎて「そりゃないだろ!」って感じですね。
    その辺に頭の固さを感じます。

  1. めぐむ said...:

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    ■としさん
    お久しぶりです~。
    そうですね、性同一性障害っていうことばは普及したけど、トランスっていう言葉や意味は全然普及してないですもんね。
    世間にはステレオタイプイメージに合う人しか出ないし。
    twitterではどんな話をしてるんですか?
    今度教えてくださいw笑

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