性別が選べる?


ある番組で、「自分で性別を選べる」メキシコのフチタン村という所が紹介されていた。

「自分で性別を選べるから性同一性障害なんて存在しない」と、ややセンセーショナルに描かれていた感じはするけど、その村の文化は面白いと思った。

大学の時、民俗学の講義でもフチタン村のことを聞いたんだけど、
フチタン村では「ムシェ(女性として暮らす男性)」や「マリマチャ(男性として暮らす女性)」という第三の性が考慮されているそうな。

そして、フチタンで社会的性を決定するものは、服装と仕事だという。

「仕事」については、男女の性別によって役割が明確に区別されており、
女性の格好をして女性の仕事をするものは、社会的に女性 としての扱いを受け、男性の格好をして男性の仕事をするものは、社会的に男性としての扱いを受ける。

「服装」については、女として生きたい男性はスカートをはき、化粧をする。 男としていきたい女性は、ズボンをはき、髪を短く切り、大股で歩く。
それで彼ら・彼女らは、社会的に女・男の扱いを受けるのだという。

この村の文化では、男らしさ女らしさは「装飾」の問題であり、その装飾によって性別の越境が可能となっているそうな。
なんだか、男女の分業を排除しようとする社会とは対照的なシステムだ。

また、男性と暮すムシェや女性と暮らすマリマチャもいれば、女性と暮して子供を持つムシェやマリマチャもいるように、異性愛社会の枠組みを保ちながら、同性愛や性同一性障害などを受け入れる社会を築いている。

男女の社会的役割を区別しつつも、「男」でありたいか「女」でありたいかを選ぶことが可能な社会になっている、ということが興味深い。

中性・無性・両性など男・女以外の選択肢がないことや、あくまで男性・女性役割を区別していることなどは、XやQの人・性役割にとらわれたくない人などからすれば、「けっきょく男か女どちらかなのか」というふうに見えるかもしれない。

でも、社会的性を「装飾」と捉え、性別を越境できるもの・選べるものとして考えている文化は、やはりすごいなぁと思う。
生き方の選択肢や幅が増えるかも?


ちなみに、フチタンは男性優位社会のメキシコでは珍しい母系社会と言われているが、実際はそうではないらしい。

どうして母系社会なんて言われるようになったんでしょうね…。

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