ある番組のコーナーで、夫を「再教育」しているという女性が紹介されていた。
「家のことを何もできない無能な夫を再教育してあげている」そうだ。
教師と学生の関係でもないのに、パートナーに対して「再教育」という言葉って、すごく傲慢に聞こえる。
「役割分担」や「協力」ではなく、なぜ上から目線で「教育」なんだろうか。
その女性は夫に「対等な関係がいい」と言っていたが、疑念なく「再教育」という言葉を使ってる時点で、「対等な関係」でなくなってるのでは?と思った。
加えて疑問に感じたのは、対等や平等を求めていながら、やたらと「男は○○すべき」を主張していたこと。
そして、旦那に稼いでほしい、でも家事や育児で苦労するのは嫌だ、という。
あまりに傲慢すぎやしないか。
正直、都合いいなぁと思う。
以前、周りに「夫を調教してる。上手くコントロールしてる自分てすごい!」とか言ってる人がいたが、何言ってんだ?と思った。
パートナーに対して、「教育」だの「調教」だの言っているのを聞くと、自分が嫌なことを押し付けて都合いいように扱っているように見えてしまう。
もちろん家のことは分担・協力するべきだし、女は家事育児に専念すべきなんて言う人がいたら個人的にとても不快だけど、自分の要求していることをしてくれないから「再教育だ」なんて、なんか違くね?と思う。
権利の主張や押し付けばかりで、相手に対する思いやりや尊重する気持ちを失くしたら、お互いしんどいと思うんだけどな…。
パートナーを「再教育」なんて…オレは絶対イヤだね。
Saturday, January 19, 2013
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Sexuality-_-gender
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