ディープな語らい

お世話になったジェンダー研究の先生と食事に行ってきました。


先生には、修論のことで色々アドバイスを頂いたり、研究について意見を交し合ったり、本当にお世話になりました。


何より、僕を1人のトランスジェンダーとして一番理解してくださった先生でしたし、
セクシュアル・マイノリティに対する偏見・差別という点でも、見守ってくださいました。


先生は、それこそジェンダー研究がまだ ”運動” としか捉えられなかった時代からずっと研究を続けてきた方で、”ジェンダーなんて研究にならない”と、ひどい言葉を浴びせられたことも多々あったといいます。


ご自分が経験したマイノリティとしての苦労や辛さを分かっているからこそ、トランスジェンダーである僕にいつも親身になってくれたんだと思います。


お話した内容はたくさんありすぎて、書ききれないくらいですが、
ふと、先生が、「私も広い意味で考えたらトランスジェンダーかもね」と仰ったのが印象的でした。


先生曰く、「身体(生物学的性)への違和感を持ったことはないけれど、ジェンダー(という仕組み)に違和感や嫌悪を持つ自分も、一種のトランスジェンダーみたいなものよね」と。


それを聞いて、「ジェンダーって何なんだろう?」「性って何なんだろう?」「そもそもトランスジェンダーって何なんだろう?」と、深く考えさせられました。


先生の仰ったことを念頭に置いて考えると、性別やジェンダーやトランスジェンダーの概念なんて、実際は非常に曖昧で不確かなものなんじゃなかろうか…と改めて思えてくる。


上手くまとまらないけど、男とか女とかトランスとか、僕たちが当たり前だと思ってる枠組みやカテゴライズって、すごく人工的なモノに思えた。


その枠組みやカテゴリーから一歩出ると、きっとフツウはフツウじゃなくなって、イジョウはイジョウでないことに気づくんじゃないかな…なんて。


先生とお話したことで、すごく新鮮な気持ちになれたというか、ある意味初心に戻ったような感じでした。


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