クィア学会 1


クィア学会(http://queerjp.org/)へ行ってきました。
分野の微妙な壁を改めて感じつつ、内容の濃い発表を楽しんできましたヨ。

プログラムで上映された映画が色々と考えさせられるもので、個人的に良かったです。

その中で個人的に興味深かった事柄がいくつかあったのでピックアップ。


長いのでたたみます(…すみません
興味のある方ドウゾ。


映画:「男子であること/Boy I Am」

FtMトランスジェンダー3人のドキュメンタリー。
フェミニズムとトランスの関係についても。



●トランス・アイデンティティの困難…不可視性。


思春期の身体的変化や社会的な優位さ・ジェンダーなどの問題によって、女が女性になりたくない気持ちと、性自認が女でなくて男になりたい気持ちというのは別の問題だが、なかなか理解されにくい。

 また、FTMやFTXなどに対する「違うタイプの女性にナゼなれないのか?」
 「女になりたくないからでしょ?」といった誤解も根強い。


 

●女性の男性性、身体観、女とはナニか?

 
 社会は男性優位の社会なので、男性が男性性を持つのは(歓迎されることな
 ので)容易(?)であるが、女性が男性性を持つことは(期待される女性性では
  なく反対の性別特徴を持とうとするため)ストレスフルになる。


特に男性社会の中では、女性にとって身体やジェンダーやセクシュアリティの
 問題は大きい。

(例)自分の女性的身体特徴が他者の視線によって女と判断され、様々な女性役割を期待されたり押し付けられるのがイヤ。したがって、女になりたくない・女だと思われたくない。



↑のようなことなどから、自分の女性性を否定するがゆえに診断の有無に関わらずGIDと名乗ったりトランスを自認する動きが強くなっていることが危惧されているという。

「個人的感想」
自分が感じている者が何なのかなんて専門家でもない限り分からないんじゃない?とも思う。
だから、あまりに過剰でない限り個人の認識も大事にすべきだと思う。
過度の批判・区別化は新たな差別につながる恐れがあるのでは?
 
 

●若者に関する問題。


自分のジェンダーというのは性行動を通して気づくが、10代ではまだ自分の体を十分には分からない。しかし、焦りや選択肢の少なさ、医療が未成年に対して慎重といったことから、正規ルートではなく裏ルートで治療にはしることが危惧されている。

だからこそ、焦らず色んな可能性を知ることが大切だという。

 

●上映後のセッションにて:コミュニティ内での問題…排他性。


 性自認を勝手に決め付けられる、明確さを求められる。
 また、規範的な「男女」に求め、曖昧や未決定は煙たがられる。

本人の性自認だけでなく第3者からの判断がないと認められないのか?

医療的治療に重点が置かれ、それらを希望しない人の居場所が減っていく 
 (希望する人が上位、しない人は下位という位置づけが存在する)。

「個人的感想」
 自分の性自認やセクシュアリティを互いに認め・尊重しあえるようになって 
 ほしいですよね、本当に。
 ステレオタイプ的な特徴を当然のように押し付けられたりするのは、やはり
 窮屈です、僕は。
 それにジェンダーやセクシュアリティなんて固定的ではなく変化し得るもの
 ですから、こうじゃなきゃ!なんて決めつける必要ないと思います。
 


*****


いろいろ盛り沢山な映画でした。

今後レンタルの予定はあるんでしょうかね。
なってほしいです。

家でゆっくり観たい。笑

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