生涯を通して変わり得るもの


僕は、「性別違和感=性同一性障害」「中核群であることが望ましい」という流れが好きじゃない。

人間のセクシュアリティは生涯を通して変わり得るものであって、固定的じゃない。
でも僕らは、情報や多数派にすぐのみこまれて、
なかなか少数派であることを受け入れることが難しい。

でも、セクシュアル・マイノリティの中でさえ、少数派・多数派に差別化していたら、世間の差別に立ち向かうことはできない。



GID治療の目的って、本人のジェンダー・アイデンティティを尊重しつつ、
良い適応状態を個人に合わせて探っていくことではないのだろーか?

それは、GID治療でなくとも、一般的なカウンセリングでも同じことだ。
この治療目的をよしとするならば、中核群と周辺群を区別することに意味はないのではないか?

周辺群の人は、「周辺群であるから治療の対象にならない」という姿勢を恐れ、
受診を迷うこともあるかもしれない。
また、GID以外で性別違和感を持つ人は、さらに受診を困難にさせる。

周辺群や、その他の性別違和感を持つ人のためのサポート体制が、早くできて欲しいと思う。
切り捨てないで欲しいと思う。

そして、性別違和感の治療やカウンセリングに携わる人の意識が変わって、
「あなたの性のあり方は、中途半端でも変でもないんだよ」と勇気付けてくれたら、
前向きに自分のセクシュアリティと向かい合って、その人らしく生きていけるんじゃないかな。

そんなことを思った。

1 comments:

  1. 雨情 紅庵 said...:

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    箱メ読みました。でもメール送ったのですが、エラーになって送れませんでした。携帯の仮アドでもいいので箱メ下さい。お願いします。

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