行き過ぎたナルシシズムにさよなら


最近、ようやくフェードアウトできた関係がある。

それは、ものすごくナルシシズム(ナルシズム)の強い人との関係。


その人は、とにかく自己特別意識が強く、加えて「自分大好き!」が口癖のような人だった。

会えば必ず近況報告と称する自慢話がエンドレスに続き、集まった他の人の話を全く聞かない。
オンステージ状態。

近況報告で話すのは、ほとんど仕事の話で、仕事上のクライエントに対して自分がいかにすばらしい行いをしてあげているか、いかに必要とされているか、を延々と話す。

守秘義務を完全放棄。
責任感全くなし。

クライエントの個人情報をバラしまくってることもどうかと思うが、「私がいなきゃあいつはやっていけない」等と常に上から目線でクライエントに接していることが個人的に不快だった。
カウンセラー志望だと昔から言っているが、こんな傲慢で上から目線のカウンセラーなんてお断りだ。

また、他人の失敗話や苦悩を引き出しては、「やっぱりねー」と楽しそうにしていた。


自己特別意識が強いというのは、その人の言動から感じていたこと。

「私はフツウの女とは違う」
「私の思考は変わってるから、外ではその思考を出さないように気をつけてるの」
「今のこの人格は、中学生の頃には完成していたから私は人よりも成長が早いの」
「私はすごい!」


ということをよく言っていて、”私は他人とは違う特別な人間・変わった人間”というアピールがとても激しかった。
今で言う、中2病みたいな感じ。

とにかく、自分を良く見せるための言い訳が見苦しい。

もちろん、傍から見たら彼女は例外なく「フツウの女」に他ならないし、
思考なんて人それぞれ異なっているのが当たり前だから、”思考が変わってる”という意味が分からない。

加えて、人格が中学生のころに完成しているなんてほぼ有り得ないことだ。

彼女も俺も大学で心理学を学んでいたせいか、彼女の話にはいつも心理学の内容が散りばめられていたけど、エリクソンの発達段階を考えれば、未成熟な中学生でアイデンティティが完成するとは思えない。

何というか、人格が中学生のころに完成したのではなく、中学生で止まっているだけだ。
「私は心理学を勉強した」と自慢してる人の発言とは思えない。

完全に独りよがりな自己イメージだ。


そして、「自分大好き」と自己特別意識が強いためかは知らないが、不可解な行動も多い。

複数で外食しているときにやや大きい地震があり、店員さんや他のお客さんがどうしようかと落ち着かない様子でいるときに、「え?何でみんなビビってるの?私こんなの気にしない!騒いでないの私だけじゃん、すごいでしょ?」と放ち、自分話をひたすらしていた時には、さすがに呆れた。

何をアピールしたいのか全く意味が分からない。

またある時には、オフ会で最初から最後まで1人でずっと、”私は変わってて、フツウの女の子とは違うの。大学で心理学をやってるんだけど、私の思考って他の人とは違うんだって。でも私は自分が大好きだから大丈夫!”という話をオンステージ状態でしていた。

結局、オフ会に来ていた他の人が話す間を与えず、彼女の自分話で終わった。

誕生日おめでとうメールでも、「私と出会えたことに感謝しろ。私はスゴク幸せ!さすが私!」という文章があって、本当に意味不明だった。

自分への執着が強いためか、日常の言動が自分のことしか見てない・考えてないというところが、色んな意味ですごい。

こういう人って、この先もずっと自分を称賛・特別扱いしてくれる人、服従してくれそうな人を探して付き合っていくんだろうな…。



あとは、ナルシズムではないけれど、”私はセクマイに理解がある”アピールがものすごく不快だった。

もともとかなりのBL好きで、BL好き=同性愛に偏見ない、というふうになったのかは知らないが、差別的な発言や失礼なことを言いまくってるのに、「私は同性愛に理解がある!全然大丈夫」と言いきっていたのは、本当に不快だった。

レズビアンの人に「早く結婚しなよ」と言ったり、街中で見知らぬ男性を見て「あの人絶対●モだよ」と騒いだり、理解を完全に勘違いしていた。

できちゃった婚したときは、「今のところ女の子で生まれてくる予定だけど、めぐむみたいに男の子になるかもね!でも私は大丈夫、ちゃんと受容する!」とか言ってて、もはやカオスだった。

思考が幼稚すぎる。


ついでに、勘違いジェンダーもひどい。

「私はジェンダー意識が強い。男も女も関係ないよ」と言っていたが、自分に都合のいい部分にしかジェンダーに敏感でない。
都合が悪くなると、「女の子だから」を口にする。

都合のいい時だけジェンダーを持ち出して権利の主張をするという、個人的に1番嫌いなタイプだった。

できちゃった婚したときは、「社会的役割の名前で呼ばれたくないから、お母さんと呼ばせないで名前で呼ばせる」などと言っていて、呆れんばかりだった。

たぶん、”他の人と違うことをしている自分=すごい=特別=大好き”という感じにでもなったんだろう。

大事なのは、社会的な名前じゃなくて、その名前が担っている社会的役割じゃないのか?
表面的な名前だけ変えても、中身を伴った変化でなきゃ意味がない。

ジェンダーやフェミニズムを自分の都合いいように扱って、完全に意味をはき違えている。

こういう自分に都合のいい勘違いジェンダー意識を持ってる人が本当に嫌いだ。




話はだいぶ逸れたけど、「この人ムリだ」と思った決定打は、彼女の友達に対する接し方だった。

彼女と彼女の友達が喧嘩をしたとき、明らかに彼女に非があったのに、彼女は「なんで私が謝るの?私は絶対謝らない」と言い、結局その友達が折れて謝ったら、「絶対そっちから謝ってくると思った」と嬉しそうに言っていた。

その時、”この人は自分以外の存在について考えることや思いやること、自分の弱さや傲慢さの責任に直面する強さがないんだな”…と率直に感じた。

他者への配慮や思いやりを欠いている人って、他者との関係を築くうえでものすごくマイナスになると思う。

そんな彼女とその友達のやりとりを傍から見て、さすがにこの人頭おかしんじゃね?と思い、徐々に距離を置いていった。

関わらないに限る。逃げるに限る。


自分大好きも大概にてほしい。

ナルシズムもほどほどにしなければ、周囲や友達への思いやりを無くし、人は離れていく。

そして最後には、今までの行いが自分に降りかかってくると俺は思う。


付き合いをやめてホントに良かった。




***


話とはあまり関係ないけど。
自己愛に関連する本で面白いもの。

自己愛人間 (ちくま学芸文庫)
小此木啓吾

自己愛人間 (ちくま学芸文庫)

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