仕方なくはない


僕の通ってる大学は、宗教的なものあり結構というかかなり保守的でして、セクマイの学生がいたら傷つきそうな発言をする先生が結構おります。

今、聴講させていただいてる授業の先生も結構言っちゃう人で、
まぁ今日もかましちゃったんですね。

その授業はビアンの同級生も聴講してるんですが、彼女に「あの発言良くないよね」と言ったところ、「そんなもんだよ。仕方ないよ」と返されたんです。

まぁ確かに”そんなもん”なのかもしれないけど、
それでも自分の周りから少しずつでも変わっていったら、嬉しいじゃないですか。

一応その先生にはユーモアを交えつつ言ったんですけど(爆)、
”そんなもん”とか”仕方ない”とかが、何だかセクマイへの偏見に対する諦めみたいに感じちゃって切ないです。

”偏見を受けても仕方がない”、”何か言われても仕様がない”、みたいな。

個人の感じ方とか意識の違いなんだろうけど、セクマイへの偏見を受け流すような態度は、今はあまりできないんですよね。

昔は、そのビアンの同級生みたいに”そんなもんだろう”って思ってたし、
人に何か言われてもあまり気にしない性格だったこともあって、自分からセクマイへの偏見を訂正するような姿勢はなかったんです。

でも、実際自分が人に差別的なことを言われて物凄い傷ついた時があって、傍にいた友人がその人に「それは誤解で、〇〇なんだよ」って言ってくれた時があったんです。

その時、「こんな悔しいのに、何でそれは違うよって言い返さなかったんだろう」って思ったんですね。

それ以来、偏見って訂正しなきゃ改善する兆しがないのかもって思うようになって、ちょいちょい言うようになったわけです。

別に社会を動かすとか大それたことじゃなくて、日常生活の中からちょっとずつでも、自分の周りから動いていったらいいなぁ…という気持ちで。

でも人間関係を保ちながらそれをやるって、なかなか難しいですよね。


0 comments:

Post a Comment