久々に会うビアンの友人とお茶したんですが、カムアウトについてちょちょいと話ました。
内容は、カムアウトしたときに意外と気にかかる言葉は?という感じ。
彼女は、「(肯定的な意味で)そんなことどうでもいいよ」って言われると、何だか複雑な気持ちになるんだそうな。
もちろん好意的な態度を示してくれたことは嬉しいし感謝してるんだけど、なぜか素直に喜べないという。
”君は君であってセクマイだとかそんなこと関係ないよ”…っていう意味で、相手は言うんだと思うんだけど、彼女からしてみると、自分が悩んでいた(悩んでいる)ことは自分にとっては「どうでもいい」ことじゃないから、「そんなことどうでもいい」というのは自分が向き合ってきた過程を切り捨てらるみたいでイヤだと。
確かに、彼女の気持ちも分かる。
自分の思いの蓄積や努力の過程を打ち消されるようなこと言われたら、誰だってイヤだと思う。
でも、相手はこちらの思いや言葉の好みなんて分からないし、ちょっとした思い違いでも気まずくなったりするから、何が・誰が悪いなんて言えない。
だから、カムアウトした後もちょいちょい修正し合いながら、お互い言葉を通じて理解し合っていくしかないんだろうね。
カムアウトしたから終わり・相手任せじゃー上手くはいかないことも多いだろうし。
言葉って難しいですね…。
あと気をつけなきゃならないのは何だろう。
やっぱり、理解や受け入れの「押し付け・強制」なのかな。
ときどき聞くのが、社会的マイノリティの人たちがカムアウトすると、「理解すべき(しなきゃならない)・受け入れるべき(なきゃならない)」って相手は思っちゃう傾向があるんだそうな。
カムアウトした人の言葉がそう思わせるのか、社会的マイノリティに対する人権擁護の意識がそうさせるのかは分からないけど(両方か…)、
できないこと・したくないことを無理してやると、後で「受け入れてくれたんじゃなかったのかよ」vs「やっぱり無理or優しくしてやったのに」などといった亀裂が生じる可能性もあるしね。
その人に対する理解や親しみを通して徐々に受け入れていくっていうのが自然な流れなのか…?と個人的に思う。
ちなみに彼女が今まで言われた中で一番うれしかったのは、「セクマイであることも”含めて”アナタを受け入れるよ」っていう言葉だという。
ぁー…それは分かる気がする。
俺だって、自分のセクシュアリティなしに自分のアイデンティティは成立しないもん。
そんなこんなで (どんなこんなだ)、
明日は日本性教育協会のシンポジウムへ行ってきますw
当日受付もOKなので、興味のある方は参加されてみてはどうでしょうか。
それについて書いた記事⇒http://hermafrodito.jugem.jp/?eid=336
Friday, June 19, 2009
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読んでいて、私はその彼女とすごく近い考えですね。
カムアウトした側もされた側も理解しあうって、心が互いに見えないから大変ですよね…。本当に受け入れてくれたなら、その後行動で示して欲しいな。いつも通り挨拶してきていつも通り遊んで…とかね(^-^)