障害認識とアイデンティティ

進級試験終わったー!

200分ぶっ通しはさすがにキツかった…。
でも、とりあえずこれでひと段落~。



さて。
たまには真面目な話題を。笑

授業で、「聴覚障がい者の障害認識とアイデンティティ」についてやったのですが、
そこで呈されたいくつかの「障害受容モデル」の中の1つが、自分が性別違和に気づいてから今日までの流れによく似ていて驚いた。

そのモデルは、

①自分が(社会的)ハンデを持っていることに否定的な感情を持ち、健常者のようになることが自分にとって価値あることだと考える。

②どんなに努力しても健常者のようになることが困難であることに気づき、自分が何者なのか分からず混乱する。

③同じような(社会的)ハンデを持っている人と出会い、そのような人たちの文化と出会い、同時に健常者の文化や価値観に対して否定的な感情をもつ。

④健常者、同じようなハンデを持った人、両方の友達ができ、両者の文化を共に肯定的に受容し、自分のものとする。

という、4段階の過程を通るもの。

このモデルと自分の今までの過程を照らしてみると、

僕も、自分の性別違和に気付いたとき(周りと違うことに気付いたとき)、
初めは、「何でオレだけ…。男の身体で生きられないなら死んだ方がマシだ」と、自分の状態に対して否定的な感情を抱き、「フツーの女の子」になることが一番良いこと・正常なことだと思い、自分を殺して無理やり「女の子」として振る舞った。

でも、いくら努力しても頑張っても、「フツーの女の子」のようになることができなくて、それが無理だということに気づいて、まだ性別違和というものを知らなかったから、余計に自分が何者なのか分からなくなって、混乱しました。
自分はオカシイのか、何か間違ったのか、自分への疑念や不安感に苛まれた。

この時期はかなり長く続いて(小学校高学年~大学1年くらいまで)、うつ状態になったり反社会的行動をとったり、まぁ痛い感じでした。

そのあと、大学の学生相談のカウンセラーさんに「GIDって知ってる?」と、ジェンクリの紹介状をいただき、ジェンクリでGIDを知り、徐々にコミュニティに通うようになって同じような悩みを持つ人たちと出会ったわけです。

それと同時に、ネイティブの男・女や、性別2元に偏る社会に対して違和感と否定的な感情を持ったし、GIDのコミュニティの独特の文化は自分には合わないのかな?という葛藤もありました。

けれどその後、何かよく分からないけれど、「俺はオレで、他人の思惑や意見にとらわれずに自分の感じ方や、自分なりの定義を大切にした生き方で良いんだ」と思えるようになり、
ネイティブの男女の文化と、ジェンダーや性に違和感をもつ人たちの文化、両方を「それぞれだよね」と肯定的にとらえられるようになり、まぁ何とか今に至るわけです。

こうやって振り返ってみると、…長いけどあっという間。笑

まぁ、この過程はサイクルなので、行ったり戻ったり立ち止まったりするんですけどね。

これからどうなることやら。爆
障害受容は完全ではないので、これからも気長にのんびり自分に付き合っていこうと思います。



それにしても、障害受容(障害認識の過程)って興味深いなぁ。
アイデンティティ確立には障害受容は重大なモンダイですしね。
今後、もし研究分野に戻れる機会があったら、この領域の研究がしたいなぁ・・・なんて。笑

たぶん、何らかの社会的なハンデを持った人たちには、ある程度共通する受容過程があるんだろうけど、セクマイに焦点を当てた障害受容の研究(縦断的な)ってあまり聞かないので、実践的なアプローチにも繋げるという意味でも、重要な研究だと思うんですがね。


…長々とすんません。

次の記事は、何らかのハンデを持つ個人ではなく、非障害者(適切な言い回しが見つからない)の障害認識過程について、ちょっいと書かせてもらいます。






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